2025年5月16日
読むラジオ|みんなのお盆法要
この記事はポッドキャスト「伊豆の国しょうれんじラジオ」2023年5月配信のエピソードの書き起こしとなります。音声版はYouTubeにてお聞きいただけます。(リンク:その1|その2)
【話しているひと】
渡邉元浄(以下、住職)
遠藤卓也(以下、遠藤)※お寺の相談役、各地のお寺に詳しい
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住職:今日はお盆の時期に正蓮寺ではどんなことが起こっているか、お話ししようと思います
遠藤:正蓮寺と言えば「みんなのお盆法要」ですよね。やっぱり、「みんなの」というのが大事なところだと思いますが、どんな思いを込めたんですか?
住職:そうですね、「みんなの」という気持ちも大事だし、「わたしの」という気持ちも大事。「みんなの」というと「誰の?」となりますけど。「わたしのお盆法要」の集合体が「みんなのお盆法要」ですね。
遠藤:一般的に法要というと「うちの」という、家族単位のイメージですが、個人の集まりで「みんなの」となっているのが特徴だと思うんですよね

住職:お盆法要は事前に申し込みをするんですね。誰を想いたいかを申込用紙に書いてもらう。「実家の母」とか。結婚などで苗字が変わると、亡き人を想う機会に参加することを失うんですよ。
遠藤:それはやっぱり法要が家族単位でつとめられることが多いから
住職:そうですね、日本のお盆は家単位。でも、みんなのお盆法要は、個人単位なんですね。みなさん一人ひとりにとっての「わたしの」お盆なんだという思いが強い。
遠藤:特にコロナ以降、葬儀が縮小化されてお友だちの葬儀に参列できなかったり、喪失の気持ちを抱えてる方もいらっしゃると思うんですよね。
住職:みんなのお盆法要は、当事者として参加できるのが大きな要素のひとつですね。
遠藤:法要の中で書いているお名前を元浄さんが名前を読み上げてくれる?
住職:そうですね、法要の中盤、本堂を暗くしてロウソクの灯りだけで、お経の合間合間に、その人の名前を呼んでいくんですね。
遠藤:呼んでいく
住職:そう、名前が呼ばれるんですよ。これはね、すごく大事なことで。名前を呼ぶというのは大事にしてますね。何で大事なのかなと思うと、実は僕もそういう法要に参加した経験があって、父の名前の名前を読み間違えられたんですよ。間違えられたときにね、何とも言えない、すごくね、傷付いたんですよ。で、実はね、二年連続で間違えられて。これはもう僕にとっての法要の場所じゃないなと思っちゃったんです。そのときに気づいたの。名前を呼ばれることはとても偉大なことで、とても大きなことなんだと。同時に、自分のことを呼んでくれる人、ああ嬉しいなあって。そういうことから、、、なかなかね、でもね、自分の亡くなった家族の名前を呼ぶっていうのはね、これもやっぱり大きなことで、なかなかね、思ってても声に口に言葉にする、口にする、なかなかね、ぐっとこう思うところがある。だから僕はみなさんの想いを受け取って書いてある文字を口にして、お念仏と共に、お念仏も仏さまの名前ですから・仏さまの名前を呼んで、亡くなった方の名前を呼んで、生きてる方の名前を呼んで・だから3つの名前をずっと30分以上、たくさんの方の名前を呼び続けている。

遠藤:去年はオンラインで参加させていただきましたね
住職:オンラインはオンラインでいろんな工夫をしていますね。オンラインでもできるなと思いましたし、ただやっぱり現地でお香の香りを味わいながら…法要に参加するってなんかね、お風呂に入っているみたいな感じ。なんかこう、じーーーっとこう温泉成分が毛穴から入ってくる感じ。肌で感じるわけです。
遠藤:そうかもしれない
住職:当日は遺影や位牌や過去帳やお花を持ってきてもらって。お檀家さんも、去年は園の保護者の方も来てくれたり、お寺とかかわりがなくても初めての方もお参りできますし、いずれにしても自分の大事な人、家族、友人、知人、動物……亡きいのちと自分との間でなにか歯がゆさを感じている方がいたら、6月1日以降、正蓮寺のウェブサイトやインスタグラムに情報が上がってきますので是非チェックしてみてください

遠藤:周りに必要とされてそうな方がいらっしゃったらご紹介いただくのもいいわけですよね
住職:そうですね。けっこう自宅のお盆参りのお檀家さんも、法要の方がいいかなって言う方もあって。自宅じゃなくて法要の方に参加される方もいますね。だいたい毎年60~70の申込があります。当日家族で来るとか。みんなのお盆法要は、わたしのお盆法要です。
やっぱりこう、失うことを隠して生きるじゃないですか。かくしてというか、あまり表面には出さないじゃないですか。
遠藤:そうですね、悲しみというか、苦しさ
住職:そういう内に秘めたものをね、お盆法要では一番外側に出してもらって。それを阿弥陀さまに「ほうよう(法要・包容・抱擁)」してもらう。。。ほうようっていうのは3つくらい意味がありますかね
遠藤:いま、どの「ほうよう」かなって笑
住職:でも遠藤くんもお寺の法要とかに参詣してると思いますけど、何をもって当事者となるか思うことがあれば
遠藤:自分ごととして参加できるかというところっていうのはあると思うんですよね。そういういみではね、名前を呼ばれる。自分の名前も呼ばれるし、自分が想いを向けたい方の名前も呼ばれるということですから。なんかこう、出番があるなというか。そういう場なんだっていうことがありますよね
住職:その、誰が誰に呼ばれているんだっていう。
遠藤:それは?
住職:普通に考えれば、お寺が檀家さんを呼んでいる。各法要はね。僕はもう2つくらい呼ぶ呼ばれるの関係性があると思う。亡き人がみんなを呼んでる。亡き人が家族を呼んでるという形もあるし。もっと言えば、それしかないんでしょうけど、仏さまが僕らに呼びかけている、ということを感じてもらいたい。
遠藤:仏さまの声って具体的な空気の振動として私たちに伝わってくるものではないと思うので、その声を聴いてもらえるための場を作ることをお坊さんが担われているんだなって思うんですよ
住職:そう、だから、お坊さんはいるけどいないようにしなきゃいけないし、ある点ではね。だからの僕が、亡くなった方の名前を呼んでるときは、なるべく気配を消して、それがまるでお香の煙のような状態を目指してます笑
遠藤:ふっとあらわれて消えている、みたいな
住職:とにかく仏さまからの呼びかけ、それが仏教でりお経であり、それに応えるのがお念仏ですから。そういったことをね、ある保護者の方がね、こういう言葉で言ったんですね。「見えないものに守られている、そう感じてもらいたくて、この園にしました」
遠藤:それは、こどもに感じてもらいたい?
住職:そう、「見えないものに守られている、そう子どもに感じてもらいたくて、この園にしました」・さっきの話で言えば、「聴こえないものに呼びかけられている、そう感じてもらいたいので、みんなのお盆法要にしました」。ま、みんなのお盆法要だけではないですけれども。
遠藤:それはやっぱりお寺という場にしかできない役割だなって思います

書き起こし:小関優 https://yuukoseki.com
音声版(ポッドキャスト):