植物日記

2025年6月30日

正蓮寺植物日記 | 蓮咲く梅雨の正蓮寺

緑の輝く季節から、水を感じる美しい六月がやってきた。

蓮の花が次々と咲き乱れ、正蓮寺では早くも6月下旬が開花のピークかもしれないとのこと!

4月8日花祭りの日に園児たちと植えた甘茶も次々と花を咲かせる。真っ白に可憐に咲く「天城甘茶」とは異なる園芸種である大花のブルーやピンクの紫陽花も美しい。
 
様々な花が饗宴した春とは異なり、梅雨の正蓮寺では蓮と紫陽花の多様な魅力を探索するのがおすすめです。

蓮が咲き誇る正蓮寺の季節

正蓮寺の入り口から出迎えてくれる蓮は、数えきれないほどの花の数!およそ100種類のハスが、日ごとあざやかに赤・白・黄と開花する。

本堂の前には、円形に並べられた蓮の鉢がずらり。満開の蓮は鉢ごと前にせり出され、まるで舞台の最前列に据えられたように、ひときわ目立って咲いている。

時間を変えて、日を変えて、6月は何度も正蓮寺を訪れたくなる。

よく晴れた暑い昼下がり。じりじりと照りつける陽射しに、私は焦げつきそうになりながらも、蓮は泥をものともせず、涼やかに、華やかに、ただ静かに咲いている。

まだ涼しい、薄曇りの午前中も素敵だ。
なんだか眠たげにほろり、ほろりと花びらが開く様子は人間のようにも感じる。

雨上がりにいくのもまた良い。
明日の葉にたまる水滴が風に揺られ、くるりくるりと回る様はなんとも愛おしい。

どんな時に行っても、新しい発見と喜びに溢れている。

商業的に作られた観光地も楽しいものだが、自分だけがこっそり見つけることのできる「特別な瞬間」を集めるのは幸せなことだ。

母が私に「ほらほら、水たまがコロコロしてる!」と声をかけてきた。美しい瞬間を誰かと分かち合う幸せも、しっかりと噛み締めたい。

 

不思議な植物 天城甘茶を求めて

私は「茶」や「ハーブ」や「花茶」などの茶外茶※、漢方など、様々な植物を採集したが、馴染みあるお寺では欠かせない甘茶を詳しく知ったのは今年になってからだ。

※茶外茶とは、日本茶や紅茶などで使われるチャノキという植物以外で作られるお茶のこと。

なんとなく花まつりに甘いお茶が使われている…という事実は知っていたが、それが発酵させた「山紫陽花の葉っぱ」からできていると聞いて驚いた。

↑正蓮寺に密かに咲くアマギアマチャ

甘茶は山紫陽花の一種なので、涼しい気候が適している。
しかし、山間部で栽培されるため、高齢化の進む産地では栽培困難となり、作り手が急激に減っている。神社仏閣へ商品の販売を行う友人は「甘茶は年々確保が難しくなっている。なんとか国産を確保したいのだが…」と悩んでいた。

甘茶は岩手や長野、九州の山間部が主な産地だが、葉を収穫して完了ではなく、萎凋させ、揉捻し、乾燥させるというまるで紅茶を作るような加工方法が必要なので産業としての成立がやや難しい。

合わせて、地球の温暖化により甘茶に適したエリアは減っている。

そんな中での救世主となる甘茶が存在した。

 

天城エリアに自生している天城甘茶=「アマギアマチャ」だ。
正確には、多く自生していた…らしい。過去形である。

 

通常の甘茶よりも葉も一回り小さいため収穫量が少ないのは難点だが、この「アマギアマチャ」を改良していけば、栽培の難しい山間部ではなく、平野の放棄農地でも栽培可能かもしれない。

 

ほとんどの文献、論文では「アマギアマチャ」は甘味が少なく飲用に適さないと書かれていた。しかし、農業博士である栃木県の藤井博士は、「アマギアマチャ」から香る甘い香りに疑念を持ち、甘味があるのではないかという仮説の元、独自に育種を進め、新たな品種を作りだした。海外でも栽培がスタートしているそうだ。

 

やってみなければわからない、この精神を私も大切に受け継いでいきたい。

 

 

真実は探す者に訪れ 物語は足元から始まる

長らく「アマギアマチャ」の生態や、どんなふうに私たちの先祖が使っていたのか解決糸口が見つからずにいた。
フィールドワークの師匠からは、「昔は集落の家の庭先に1本、アマチャの木があってそれを手揉みして、花まつりに使っていたんだよ」と聞いたが、それ以上は情報がないとのことだった。

3ヶ月以上進展がなかったが、真実は突然やってきた。

毎月楽しみにしている狩野川骨董市に、山野草を持ってくるおじさまがいる。
何度もお話しするうちに、気がつけば紫陽花の季節となる6月になっていた。

「アマギアマチャ」はありますか?」と聞くと

「全然売れないから持ってこないよ。笑」

とのこと。園芸用にも用いられるがここでもあまり人気はないらしい…

もう少し粘って聞いてみる。

「今でもアマギアマチャがある場所はありますか?」

「昔はいろんなところにあったけど、土地の造成でほとんど見かけないね。家には1本はアマチャがあって、みんな花まつりの時は新聞紙に包んで作ってたけど。今はそんな人はいないし、知っている人もいないんじゃないかねぇ。」

ふむふむ、なるほど。

私の師匠は御殿場にもよくフィールドワークにいくので、この辺りの人に聞いたに違いない。

こうして名探偵のような気分になり、何ヶ月もの時を経て答え合わせをし、何十年、何百年も前からの植物の不思議をあきらかにしていく。未来の世界をよりよくするために、インターネットでも、本でも手に入らない生きた情報を求めて彷徨い歩く。
 

正蓮寺こども園の空中スイカはニョキニョキと!

高橋さん夫妻が準備してくれた空中スイカは、いよいよ本番!とばかりに精力を増していく。

こんな風景を毎日観察できる園児はたいそうワクワクするだろう。

数十年前、高橋さんご夫妻が独自に始めた空中スイカ。その長年の試行錯誤と工夫の積み重ねが、いま見事な栽培成果として実を結び、園児たちの笑顔と歓声を生んでいる。

 

正蓮寺を思い出すときに連想するのは「笑顔」だ。

通常であれば、お寺のイメージはお墓やお葬式、法事など死を思い浮かべる悲しみかもしれない。

けれども、不思議と墓に眠る父の笑顔、迎えてくれる住職げんじょうさんやお庭を作る造園屋の大矢さん、植物の手入れをする仲村さん、楽しそうなこども園の園児の笑顔ばかりなのである。

 

どれだけ科学や技術が進化しても、効率だけでは届かない領域がある。
それでも、時間をかけて育まれるものが確かにある。
 

もっと早く、もっと多く、というのは本当に必要だろうか?

笑顔を増やすためには、もっと増やすのではなく、もっと「減らすこと」が必要なのかもしれない。

 

猛暑の中草取りをしながら、ぼんやりと考えるのでした。
早くも梅雨明けの模様、どうぞ暑さ対策の中お過ごしくださいませ。

  

植物採集家 古長谷莉花